辻原輝(國學院)は父も箱根ランナー!中学・高校より大学での活躍がすごい!

辻原輝 父親 箱根

國學院大學の長距離ランナー・辻原輝(つじはら ひかる)選手が注目を集めています。

第100回大会で4区区間4位、第101回大会で7区区間2位と、箱根駅伝で着実に実績を残してきました。

この記事では、辻原選手の父も箱根ランナーなのか?そして中学・高校より大学での活躍がすごい点について紹介します。

目次
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辻原輝(國學院)は父も箱根ランナー!

辻原輝選手の父・辻原幸生(つじはら ゆきお)さんも、かつて箱根駅伝を走ったランナーです。

神奈川大学時代に出場し、特に1年時の第73回大会(1997年)では8区で区間賞を獲得し、神奈川大の総合優勝に大きく貢献しました。

その後も3年連続で箱根を走り、当時の「神大黄金期」を支えた名選手として知られています。

父の背中を見て育った辻原輝選手にとって、箱根駅伝は幼い頃から身近な存在でした。

「幼少期から沿道に出て、箱根駅伝の選手たちを憧れの眼差しで見てきた。二宮中学校で陸上部に入部したのをきっかけに、“地元を走る4区を自分も走りたい”という目標を持った」

引用:タウンニュース

こうして、自然と父と同じ舞台を目指すようになった辻原輝選手。

けれど、辻原輝選手、実は父・幸生さんから、陸上をやるように強制されたことは一度もないとのこと。

中学校で本格的に陸上を始めたのも、兄や仲の良い友人が陸上部に入ったからなんだそうです。

きっかけはともあれ、親子二代で箱根を駆け抜けるランナーとなった姿は、まさに箱根駅伝のドラマ性を象徴していますね。

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辻原輝(國學院)は中学・高校も陸上部?

引用:インスタ辻原輝 (@hikaru_k.g.u)

辻原輝選手は、中学・高校でも陸上部に所属し、ランナーとして日々練習に励んできました。

ここでは、辻原輝選手の中学・高校時代についてみていきましょう。

中学時代

辻原輝選手は、二宮町立二宮中学校の陸上部で本格的に競技を始めました。

地元メディアのインタビューで、「二宮中学校の陸上部に入部したのをきっかけに、“地元を走る4区を自分も走りたい”という目標を持った」と語っており、箱根駅伝を目標にしたのも中学時代でした。

辻原輝選手は、中学3年時には県大会で上位入賞を果たして関東大会へ進出。

全国大会(全中)1500mは予選敗退でした。

地元では上位を争う実力者だった一方、全国の壁は高く、あと一歩及ばなかったという位置づけでした。

辻原輝選手は、中学時代を振り返り、こう語っていました。

中学の部活動は「全然強豪ではなくて、ただただみんなと楽しくやってました」と振り返る。

引用:4years

中学時代の辻原輝選手は部活動として、友人と楽しみながら、確実に実力をつけていった、そんな印象でした。

高校時代

辻原輝選手は、神奈川県の強豪校である藤沢翔陵高等学校に進学して陸上部に所属。

トラックでは5000mで14分18秒44(高2・日体大記録会2位)など、神奈川県〜関東の舞台で記録を伸ばしました。

駅伝でも春の伊那駅伝・2区23分57など主要区間を経験し、着実に実力をつけていきました。

しかしながら、当時は“全国表彰台級”の派手な実績はなく、素質はあるけれど結果は出せないと言った状況でした。

思うように、結果が出なかった高校時代。

結果、大学からのスカウトはゼロでした。

けれど、そんな苦渋の中でも決して諦めることなく、挑み続けた辻原輝選手。

その諦めない気持ちと弛まない努力が今の辻原輝選手を作り出したのだなと感じました。

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辻原輝の國學院入学はスカウトではない!大学入学後の活躍がすごい!

辻原輝選手の國學院入学は、スカウトではありません。

高校時代に思うような結果が残せなかった、辻原輝選手。

大学からのスカウトがゼロという過酷な状況でした。

そんな状況でも諦めず、直接國學院大學へ直談判。

結果として、現在の主力選手には珍しい入学経路となりました。

入学当時の辻原輝選手の成績は、同期の中で6〜7番手。

それでも焦らず、あくまで自分との闘いに徹し、自己ベスト更新に全力を注いできました。

高校では結果を出せなかった分、大学では伸び代がまだあると前向きに捉えた事もプラスに働いたのかもしれません。

辻原輝選手は大学入学後、三大駅伝とトラックで存在感を示します。

まず、出雲駅伝(2024)で、辻原輝選手は、3区を担い24分12秒・区間4位

チームは5年ぶり2度目の優勝

優勝の喜びを表しながらも、すでに次に向かっている姿がどこまでも貪欲なんだなと感じました。

続く全日本大学駅伝(2024)では、3区33分59秒・区間3位(國學院歴代1位)と好走。

『攻めていけ』と言われたのが嬉しかったと振り返り、箱根駅伝での区間賞・優勝を目標に掲げ、しっかりとチームに貢献すると明言。

そして、箱根駅伝では区間賞こそ逃したものの、第100回は4区・区間4位(1:01:59)第101回は7区・区間2位(1:02:21)といずれも上位の結果に。

第100回の箱根駅伝では、小さい頃の夢が叶え、第4区を走り、良い箱根デビューができたのではないでしょうか?

第101回目の箱根駅伝のインタビューでは、「あと十五秒早ければ…。」と悔しさをにじませています。

大学に入ってから、辻原輝選手の活躍は目覚ましいものがあります。

やっと、本領が発揮されたといったところでしょうか?

今も努力に努力を重ねて、実力を伸ばしつつある辻原輝選手。

2026年の箱根駅伝の辻原輝選手の走りにも期待が高まりますね。

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辻原輝(國學院)のプロフィール!

引用:Instagram · kokudai_ekiden

これまで、ランナーとしての辻原輝選手についてご紹介しました。

辻原輝選手ってどんな方なんでしょう。

辻原輝選手のプロフィールをまとめてみました。

項目内容
氏名辻原 輝(つじはら ひかる)
生年月日2004年9月20日
出身地神奈川県中郡二宮町
出身校二宮中学校 → 藤沢翔陵高等学校
大学國學院大學 文学部 史学科(在学)
身長/体重179cm/58kg
種目長距離(駅伝・トラック)
自己ベスト5000m:13:43.35(2024)/10000m:28:27.93(2024)/ハーフ:1:00:51(2025)
箱根駅伝第100回:4区 区間4位 1:01:59/第101回:7区 区間2位 1:02:21
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まとめ

引用:インスタ辻原輝 (@hikaru_k.g.u)

今回は、辻原輝(國學院)は父も箱根ランナー!中学・高校より大学での活躍がすごい!と題してお送りしてきました。

調査した結果わかったことは、以下の通りです。

  • 辻原輝の父・幸生も箱根ランナーだった
  • 辻原輝は中学・高校も陸上部に所属
  • 辻原輝は高校時代伸び悩み、結果が出せなかった
  • 辻原輝は國学院大学はスカウトではなく、直談判で入学
  • 辻原輝は國学院大学入学後は著しく活躍

辻原輝選手は、苦労した日々もありましたが、常に諦めない姿勢と努力が実を実らせたのだと感じました。

2026年の箱根駅伝の辻原輝選手の活躍に期待しましょう。

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